
180 件の広報紙が見つかりました。
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広報あき 第6号 1960年11月発行 広報あき
第6号
1960年11月発行で生れ、海天界に縦横のかつやくをしついに三菱王国を築き明冶十八年二月五十二才で生江の幕を閉じるまで明治の海辿界に君臨した。安芸城跡安芸国虎公歴代の居城であった、国虎は長宗我部元親と八流山で合戦した際、長宗我に通じる者がで...
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広報あき 第27号 1964年6月発行 広報あき
第27号
1964年6月発行千円か毎月貸与されます。井の口一ノ宮に、三菱係各社が協力して造ったそうである市政の現状を8ミリ映画にして.市民の皆様に見ていただこうと昨年来、撮映を続けていましたが、この程完成しました。天然色でテープコーダーによる解説が...
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広報あき 第71号 1968年4月発行 広報あき
第71号
1968年4月発行ずれました。大使は明治維新に関心をもち、三菱の先駆者の生地をおとずれたもので庭にある全国各地の石を集め作られた日本列島の庭石を見て大変感心していました。「静かでいい所です。岩崎弥太郎さんは先見の明のきく人だと思います」と...
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広報あき 第118号 1972年3月発行 広報あき
第118号
1972年3月発行歴史は古く、史話と遺跡を各地に残し、また三菱でその名を知られた岩崎弥太郎、二十五代衆議院議長、富田幸次郎、明治の小説家、黒岩涙香、書道の川谷横雲、尚亭兄弟、作曲家、弘田龍太郎ら数多くの人物を生みました。市では、市政施行二...
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広報あき 第127号 1973年1月発行 広報あき
第127号
1973年1月発行するなら東京でと考え友人と共に畑山出身で三菱に勤めている人について上京した。東京へ出ると、本郷の岩崎家に寄ぐうし、玄関番から書生となり、忠実に働いた。これを家令の千谷稲男に認められ、日本歯科医専特別科に入学し、夜間通学で...
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広報あき 第183号 1977年8月発行 広報あき
第183号
1977年8月発行る所にある「三階菱」の紋は岩崎家の紋で、三菱の基礎ができた。弥太郎は一八八五年(明治十八年)二月没。五十二歳▲昭和5、6年頃の岩崎邸。邸を写したものでは、は、現存するうち最も古いといわれている写真。座を降りるまでは、どこ...
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広報あき 第209号 1979年10月発行 広報あき
第209号
1979年10月発行油を使い捨てていることになります。水島の三菱石油油漏れ事故のように、海を汚染し、自然環境を破壊することになるのです。次に、人体への悪影響があげられます。最近の研究、実験によれば、皮膚から体内に侵入して手あれ、おむつかぶれ...
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広報あき 第229号 1981年6月発行 広報あき
第229号
1981年6月発行施設安芸ワークセンター通所生を若干募集中三菱電機株式会社丸亀製作所(丸亀市)ウォータクーラー*安芸自動車学校壁掛時計一台*白馬看板壁掛時計一台市内土居の森田善蔵さんから、障害者対策に役立せてもらいたいと、五月八日、二十万...
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広報あき 第245号 1982年10月発行 広報あき
第245号
1982年10月発行大人の精薄者の収容施設と作業場公害のない三菱系電子工場等の誘致妙見山の総合開発、帯谷川改良早期完遂取り残されている地区の上下水道設置以上の事に全力で取り組んでゆきます。安芸市を教育田園都市として発展さしたいという考えに変...
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広報あき 第259号 1983年12月発行 広報あき
第259号
1983年12月発行月がたちました。現在、ワークセンターでは三菱電気丸亀工場の下請けとしての電気製品の部品の製造、ニチフ端子工業高知工場の下請けとしての端子加工、竹闘犬の製造を中心に作業を行っていますが、川竹施設長にその現状とこれからの見通...
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広報あき 第261号 1984年2月発行 広報あき
第261号
1984年2月発行像帰郷岩崎本家が安芸市へ寄贈安芸市出身で三菱銀行取締役営業部長53=東京都文京区=を訪問し、弥太郎生誕百五十周年を迎えるにあたり地元安芸市では弥太郎の銅像建立の計画が盛り上っていることを説明。岩崎氏は、これにこたえて、千...
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広報あき 第263号 1984年4月発行 広報あき
第263号
1984年4月発行かるように計画されています。安芸市出身で三菱の創始者・岩崎弥太郎の生誕百五十年を記念して、その銅像の建立を目指す”岩崎弥太郎先生銅像建立委員会で市内三ヵ所へ設置された募金箱岩崎弥太郎銅像建立目指し昨年の九月から建設をすす...